新井白石と当ホームページの紹介

 新井白石は明暦3年(1657)2月10日、神田柳原の土屋邸の仮屋敷で生まれました。父の正済は上総国望陀郡久留里藩(21,000石)第2代当主の土屋利直に仕えていました。白石は幼時から藩主利直にかわいがられ、しばしば久留里を訪れました。幼時に土屋利直に連れられ、君津市小市部の円覚寺(曹洞宗)に参詣した話が、近年分かっています。子供の頃から熱心に勉強をしていましたが、成長するや創作にも手を出し、17歳ころから漢詩や俳諧作品を作るようになります。また、『漢書』等中国の書籍に読み耽り、のちの邪馬台国の探究の基礎学習としました。久留里藩では無役でしたが藩主から特別に目をかけられ、学問好きの少年・青年として特異な存在として映ったはずです。殿様からの愛情は、好奇心・向学心の強い白石の単独行動に結び付き、その行動として、しばしば江戸橋から五大力船(木更津船)に乗り、木更津周辺で川舟に乗り換え、久留里に遊び、青年期以降は漢詩を詠んだことが挙げられます。
 江戸では浅草や日本橋周辺を拠点に松尾芭蕉の向こうを張って、俳諧に夢中になった時代があります。その証拠に、延宝期の俳諧集の『功用群鑑』と『江戸弁慶』に白石の俳句がいくつか残っていることが指摘できます。延宝5年(1677)2月、第3代久留里藩主の土屋頼直から藩の内紛騒動に関与したと嫌疑をかけられ、父と共に同藩を追放され、同地を去ることになりました。しかし、2年後の延宝7年(1679)8月7日には、久留里藩主の頼直が「違乱」を理由に幕府から改易処分をされ、土屋の久留里の陣屋や武家屋敷は破却・解体されました。はれて白石は自由の身となります。この間の数年、白石親子を助けてくれたのが、義兄で奥州相馬中村藩(現福島県相馬市)に移籍して相馬中村藩士として働いていた軍司正信(1625~1703)と久留里の町医者の伴幽庵(?~1722)でした。その後、白石は家塾を開いて生活費を稼ぐなど苦労しましたが乗り越え、天和2年(1682)3月12日、26歳のときに大老役で堀田家の当主の堀田正俊にお目見えし、御小納戸役20人扶持の待遇で家臣となりました。そして、その年の秋、朝鮮通信使が江戸にやってきた際には、白石の100篇の詩篇を集めた処女詩集の『陶情詩集』を携え、通信使に詩集の序文を書いてもらうため日本橋近く馬喰町にあった本誓寺の客館に出向きました。そのとき、同じく訪れていた水戸藩士たちを目撃して話をし、幸運にも愛称「西山公」こと徳川光圀と知り合うようになり、白石の人生に大きな影響を与えます。また、漢詩の応酬に訪れていた木下順庵とも知り合い、のちに弟子入りします。堀田正俊の子の正仲の山形入封の際には千歳山万松寺を訪れ、漢詩を詠み、その後、福島転封に随行した際は単身で相馬中村に向かい、義兄の軍司正信と再会し、漢詩を贈ります。そのときの漢詩の書はのちに軸装され、掛け軸となって現存しています。
 平成29年8月22日にその掛け軸が実に328年の歳月を経て君津市に寄贈されました。ここに新井白石研究室をその寄贈に併せてオープンするものです。『折たく柴の記』『藩翰譜』『古史通』『西洋紀聞』『読史餘論』『本朝軍器考』『史疑』(作品は現存せず)に至るまで、天下の新井白石のことならなんでもござれ、晩年の邪馬臺国への道のりや場所の追求に至るまで、その研究世界の進化・発展のようすを新井白石とゆかりの千葉県君津市からお伝えする、新井白石研究家の坂井昭が中心となって「新井白石ワールド」の魅力を多面的にお伝えするホームページです。 

新井白石ゆかりの久留里の史跡の現地案内

 「久留里」とは千葉県君津市のうちの新井白石ゆかりの久留里地区を意味します。現地案内希望者は、参加の最少人数を3名とし、それ以上の上限を20名までとしてお申し込みを受け付けます(これ以上は過去の経験上、責任がもてませんが、ご希望の場合は相談をいたします。ただし、ご希望が多すぎたり、少なすぎる場合、雨天が予想される場合は中止とします)。
 旅行等での新井白石の史跡・歴史散策をしてみたいという方は、どうぞお役立て下さい。お申し込みの受付は訪問予定日の2週間前からとさせていただきます(間際でのお申し込みは受け付けできません)。詳細はお電話にて相談いたします。

 基本コースは徒歩を中心に(基本的に健康的な歴史散策を目指しておりますので、十分に歩けない方がおられる場合、また、酒気帯びをされる方が出そうな場合は、明確にお断りをさせていただきます)、スタート地点をJR久留里駅とし、所要時間を5時間程度(昼食をはさむ場合、その所要時間を含みます)とし、案内説明料を1件につき、2人~5人の場合(ガイドは坂井昭1名)、6人~9人(ガイドは坂井昭1名)、10人以上25名の場合は20,000円(ガイドは坂井昭とほかに1,2名が当たる)とさせていただきます。細かくは、所要時間の融通やコースの選定、昼食の方法、案内料金(当方への謝礼金額)は、それぞれの団体や組織の事情と相談し、ご都合に合わせます。

[モデルコース]*反対の道順でも可能です。
 JR久留里駅10:00集合・出発~10:10新井白石の恩人・伴幽庵の墓石と正源寺~徒歩で久留里神社前を歩き、「おやしき」武家屋敷前を歩く
11:00~11:20武家屋敷跡を歩く~歩いて・・・12:00着で久留里城模擬天守閣・久留里城資料館の周辺を見学する(新井白石の漢詩を朗読する。ここで昼食を取る)
12:40分に出発し・・・13:30~14:00円覚寺にて白石が仕えた土屋家五輪塔を見学する・・・
徒歩で久留里市場の街中へ・・・14:30~15:00久留里市場で買い物等をして15:00に解散とします。


新井白石の書作品の真贋について相談に応じます

 無料。現物・現作品は絶対に送付されず、写真郵送もしくはeメールを用いての画像と説明文(所蔵者の身分証明書の写しの提出)の送付・送信での応対に限らせていただきます。営利目的でするものではなく、世の中から贋作・偽造品を排除したいと考えているために行なうものです。

 贋作・偽造品の横行は、近世史研究の進展を著しく妨害するものです。人をだまし、大切なお金をだまし取るために贋作・偽造品を作るのですから、絶対に許すことはできません。
 これまで全国の古書店の古書販売目録で新井白石の書の「贋作」「偽造書」とみられるものに法外な値段の付いたものが出された場合、理由を明確に述べ、電話や文書で指摘をしてきました。世の中から贋作や偽造品を排除すべく発言をしてきただけのことで、利益目的ではありません。また、この仕事を始めてから6年間ほどがたちますが、トラブルは1件もありません。古書店や美術館からのお問い合わせにも、秘密を厳守しながらすばやくお答えしていますが、あくまで自己(館、個人等)所有のものにかぎらせていただきます。既刊の出版物に掲載された新井白石の書作品は、すべて真・贋を判定してあります。判定にかかわる情報はすべて秘密で行ない、プライバシーの保護と厳守をお約束し、手数料の料金を取るといったことはしません。また、発言には責任を持ち、贋作の判定を下した場合、理由を明確にします。しかし、送られた画像や作品の落款印の蹟自体が不鮮明であったり、断片的な紙片でしか残っていないなど、判定に決め手を欠く場合も珍しくありません。また、所蔵権が確定していない場合も含め、判定不能となりますのでご容赦下さい。美術品や骨董品としての価格や価値といったことには応えられません。よろしくご理解下さい。

新井白石ファンクラブ会員の募集

  お名前、住所、生年月日、連絡先電話番号をご連絡いただければ無料で会員とさせていただきます。「会員からの声」という欄を設け、適宜、投稿をお願いします。また、会報(年1回発行)を送らせていただきます。なお、個人情報は厳守します。

講演会の開催

 ご要望があれば新井白石についての講演をいたします。日時・会場・詳細のテーマ・規模・講演料など、事情に応じ、相談をさせていただきます。ただし、一般受けはしないと思いますので、創意工夫して取り組みます。

新井白石肖像画

 新井白石の容姿を伝える肖像画で、当研究室が所蔵するものです。絵を描いたのは京都の喜多武清(きたたけきよ 1776~1857)という絵師で、新井家にある原本から写したもので、原画とそっくりのものです。武士や儒者などの肖像画には、想像だけで描いたものと実像から描いたものとに分けられますが、これは実像から描いたものをそっくりに写し取ったもので、原画との比較もできており、その意味で価値が高いものです。
 宝永7年(1710)10月に、奈良・京都・大坂の上方方面に約90日間の長旅に出ますが、その直前に描かれたもので、新井白石54歳の全盛期の肖像画です。白石の身長は5尺=150cmで、当時の江戸時代の男性の平均身長よりも低かったとみられます。そのため、立ち姿よりも坐ったままの姿を好んだものでしょう。眼光の鋭かったことや装束の姿がよく描かれています。なお、貴重品ですので、当ホームページから無断で転載することを固くお断りいたします。書籍等に掲載をご希望の方は、お電話等でご連絡を下さい。できるだけご要望にお応えしたいと思います。

『八幡太郎義家画賛』

 八幡太郎義家と呼ばれる、源氏の総帥・源義家(みなもとのよしいえ 1039~1106)の合戦に出かける武者姿のようすを従者の姿とともに伝える掛け軸です。原本原画から書写されたいくつかの写本をへて、明和期(1764~72)頃に、有職故実の専門家で新井白石の研究をした伊勢貞丈(いせさだよし 1718~84)の指示のもと、専門の画工によって写されたものです。類似のものを含めて、現今では本画の掛け軸のほかには1点も存在しないため、また、これまで存在が知られず、話題にされたことは一切なく、最近になって当研究室が入手し、補修して掛け軸に仕立てたものです。
 いちばん最初に原本とされた絵は、第3代久留里藩主・土屋頼直の嫡子の土屋主税(つちやちから 1659~1730)家にあった絵と考えられます。新井白石はこの絵を幼い頃から土屋家の屋敷でよく見ていたようですが、非常に印象に残るものだったようです。室町時代の画家の粟田口法眼(あわたぐちほうげん)が描いたと伝えられる古画でした(しかし、この絵は当時すでにぼろぼろだったらしく、現在の土屋家には存在せず、話も伝えられていません)。
 正徳2年10月14日に白石が仕え、また、心から慕った第6代将軍の徳川家宣が51歳で薨去しています。白石は悲しみに沈むのではなく、自らを鼓舞し、第7代将軍となる家継の治世を盛り立てていくため、土屋家にあった絵を借り出し、画工を呼び、自らは絵を伝える賛を書きました。この絵がたしかに現存したらしいことは白石の『本朝軍器考』中に記述があることで証明できます。そして、その後に新井家に出入りするようになった伊勢貞丈は、この絵を画工に写させ、自らも賛となる説明文を加えたものができました。そのようすは貞丈の『軍用記』中の従者の絵や説明文から分かります。さらにその後、寛政3年(1794)12月頃に新井家が大きな火災に遭い、白石の賛を書き込んだ写しの絵を失ってしまったとみられます。伊勢貞丈の家の現存も伝えられていません。関東大震災や戦災等で失われたことも考えられますが、もともと写しとして作られた絵自体が少なかったとみられ、現在では本画が1点残るだけの状況であるようです。
 新井白石の「賛」である縦長の文が絵の上方にみえます。左側の縦長の賛・文は有職故実の研究家の伊勢貞丈のものです。絵の向かって左に控え居るのは源義家の従者で、かぶっている兜は義家朝臣のものです。兜に付けられた赤い布は「旗印」(はたじるし)と呼ばれるものです。装束の描き方など正確なもので、当研究室のお宝とするものです。


新井白石関係の書籍や冊子の販売


■『房総里見氏と久留里の時代 改訂版』
 坂井昭著。平成20年4月刊行。A4判・124頁、本代=1500円+送料=350円、計1850円。
房総里見氏の活躍を軍記物の『関八州古戦録』や『久留里軍記』の写本等全国の図書館等に探し求め、徹底的に分析したものです。軍記物の分析の手本となる大力作です。

『里見と土屋と黒田の昔』
 坂井昭著。平成21年11月刊行。B5判・170頁、本代=1500円+送料=300円、計1800円。
久留里正源寺(浄土宗)の秘伝の加勢観音の由来を述べた『観世音菩薩略縁起』をはじめ、『久留里円覚寺由緒』、新井白石の新発見資料=『土屋家ノ事御尋ニ付奉答候条々』、久留里土屋家の滅亡の秘密を暴いた『久留里土屋三代記』、久留里藩士の森勝蔵の名作『来里奇談』を収載しています。解説も充実して人気抜群。

『新井白石と久留里土屋氏関係資料集』
 坂井昭著。平成23年11月刊行。B4横判・141頁、本代=3000円+送料=560円、計3560円。
国文学研究資料館で見つけた巻子本=『土屋家の事御尋に付奉答候条々』10m分を影印と関係する書物、詳細な解説でまとめています。君津市には「おたから」でしょう。「久留里土屋家には家老が7人もいた」「第二代藩主の土屋利直は『駿河大納言の秀忠派閥』だったため、家光ににらまれ出世できなかった秘話」「紅葉山文庫の名称がついた訳」など新井白石だけが知る話がたくさん語られています。これ1冊あればだれよりも久留里通となる。B4横サイズで大きい判だが郵便配達してくれます。

『君津市久留里発 新井白石の人と魅力』
 平成24年2月刊行。B5判・304頁、本代=2000円+送料=350円、計2350円。
(仮称)新井白石記念館の設立を応援する会で作成の新井白石シリーズ第一弾。新井白石記念館の設立署名簿を集めた際の記録と新井白石の魅力を紹介、また、白石の書の真贋を見抜く方法や根拠となる蔵書印や落款印を紹介しています。

『君津から贈る 新井白石古詩集』
 平成26年3月刊行。B5判・304頁、本代=2000円+送料=350円、計2350円。
(仮称)新井白石記念館の設立を応援する会で作成の新井白石シリーズ第二弾。東北大学附属図書館・狩野文庫で見つけた『白石詩』は新井白石の珠玉の漢詩450篇が、白石33歳~64歳までの32年間の作品が創作順に並ぶものでした。近世史の大発見となり、君津市民をはじめ会員たちが作品を読み下し、感想文を寄せてくれました。第18回自費出版文化賞入選の栄に輝く作品でもあります。

『書物への愛 桜田御文庫と新井白石』
 平成28年3月刊行。B5判・304頁、本代=2000円+送料=350円、計2350円。
(仮称)新井白石記念館の設立を応援する会で作成の新井白石シリーズ第三弾。鶴見大学図書館に存在が知られていなかった「桜田御文庫」(第6代将軍の徳川家宣の御文庫)がらうらしいと分かり、ただちに写真撮影を申し込み、分析した結果、そのとおり桜田御文庫の目録と分かりました。そのほか、第7代将軍・徳川家継に献上した『古史通』と『古史通或問』の白石自筆本が前田育徳会の尊経閣文庫に見つけるなど大活躍。『折たく柴の記』の由来も後鳥羽院の歌にあったことを会員が突き止めたことなど、新井白石に関する話題を満載しました。

『新井白石が義兄の軍司正信に贈った書』
 平成29年5月刊行A4判・50頁、本代=500円+送料=300円、計800円。
今回話題の内容です。ホチキス留めの冊子です。

『新井白石と千駄ヶ谷の拝領屋敷』
 平成29年6月刊行A4判・52頁、本代=300円+送料=180円、計480円。
新井白石の江戸・千駄ヶ谷の拝領屋敷について論じた少し前のほかの方の書籍等で足りなかった典拠資料を追究し、突き止め、紹介している内容です。ホチキス留めの冊子です。


※冊子(ホチキス留め簡易製本)と書籍(上製本ハードカバー)がございます。簡易製本(ホチキス留め)のものは体裁の悪さから廉価としますが、内容が劣るということはありません。

【ご注文は】
 購入ご希望の方は、ハガキ・ファクス・メールにて「書名」「冊数」「お名前」「ご住所」「お電話」記載の上お申し込み下さい。お支払いは同封の郵便振替用紙にてお願いします。

掛け軸(馬上)
新井座像